nowhere



 一分一秒たりとも離れずにいることなんてできない。人間同士でも、生活があり生きていく必要がある以上、多かれ少なかれ愛する人と離れなければならないのが当然だろう。それはほんの数時間かもしれないし、場合によっては数日かもしれない。状況によっては数ヶ月ということも考えられるし、数年という話もよく聞くものだ。人と人との結びつきはほんの数時間の断絶によって切れてしまうこともあれば、時間の経過によってより強固になるものだってある。
 それならば、国同士ではどうなのだろうか。数年の離別は、国家としてはごくごく短いものだ。数年で何が変わるだろうか。歳をとることもなく、大きな変化もなく、ほんの数年で何が変わるだろう。アメリカはそう思っていた。自分たちにとって数ヶ月程度の時間は瞬き一つの間に過ぎ去ってゆくものなのに。
 アメリカは廊下の先に探していたまばゆい金色を見つけてゆっくりと歩を進めている。柔らかそうな金色の髪。その持ち主をアメリカは思いきり殴り飛ばしてやりたいが、同時にそれを懼れてもいる。相反する感情に、足の運びが普段よりぐっと遅いものになるのを止められない。だが、何事もなかったようにその傍を通りすぎることも、踵を返して立ち去ることも出来そうにはなかった。それだけはどうしてもできない。
 ようやく目指す人物の横に立ち、アメリカはつとめて冷静さを保ちながら声をかける。
「やあ、フランス」
「ようアメリカ」
 猫のように目を細めてフランスが笑う。その笑顔に他意はないとわかってはいても、嘲られているように感じるのは自分の被害妄想だろうか。
 一瞬唇を噛み締めてから、アメリカもそれに笑い返した。
「……イギリスがまた君のところに世話になったって?」
「ああー……」
 フランスはちょっと途方に暮れたような表情をしてから苦笑した。
「その、なんだ。あいつのあれは習性みたいなものだから気にするなって」
「わかってるよ」
 合わせていたはずの視線が下降していく。どうしてここはこんなに重力がつよいのだろう、今にも負けてしまいそうだ。
「そうか」
 フランスは同情的な姿勢を見せたが、決して否定しなかった。ということは、今回も同じだったのだろう。イギリスが、フランスのところに行ったのだ。自分のところではなく。
 イギリスはフランスと寝たのだ。
「じゃあ」
 アメリカは荒れ狂う内心を押し殺してフランスの横を通り過ぎた。もはやフランスの顔を見ることができないくらいには冷静さは失われていたが、かろうじて片手をわずかに挙げることで別れを告げる。今すぐ死んでしまえたらどんなにか楽だろうとできもしないことを考えながら、アメリカはどこへともなく歩き始めている。
 イギリスとアメリカとの関係は、昔は兄弟に近いものだった。それは時間や歴史の変化とともに形を変え、いつしか二人はお互いを恋人として認めあうようになった。それぞれ相手に対する執着に似たものは昔から持っていたし、それが今の形に落ち着いたのは自然な結果とは云えなくても不思議なことではなかった。
 アメリカは恋人を大切にする男だ。パートナーに対しては誠実でいたいと常々願っているし、その通りのことを行動に移すことができる。だから、イギリスと想いが通じ合ってからはアメリカはイギリス以外を見ようともしなかったし、時間があればそれは考えるまでもなくイギリスのために使おうとしてきた。
 だが、アメリカもイギリスも国家であり、常に重責を負って生きている。自由になる時間は少なく、イギリスの顔を見ることも出来ない時間が何ヶ月も積み重なっていくのも当然のことだった。そしてアメリカは、それがまさか二人の関係に決定的な亀裂を入れるものだとは全く予想すらしていなかったのだった。
 アメリカはふらふらと建物の中を彷徨っていたが、廊下で人とすれ違う度に人気の無い方へと進んでいくうちに、いつしか庭へと出ていた。今日はいい天気だ。庭の緑も青々としてまぶしい。ところどころで花が咲いていて、古くから聳え立つ大樹は葉を揺らして居心地のよさそうな木陰をつくっている。どこかで鳥の鳴き声が聞こえたような気がして、アメリカはふと立ち止まって空を見渡した。
 イギリスはアメリカよりずっと長い間生きてきている。いつ生まれたのかすら定かではない国。かれはアメリカの何倍もの歴史を持ち、その分だけ経験を積んできたのだろう。アメリカに理解できないことがあってもおかしくはないし、それはそれとしてイギリスの一部なのだから、どんなものでも受け入れようと思ってきた。変な習慣も、なんだか古ぼけたような考え方も、アメリカと食い違うたびに多少は喧嘩をしたりもしたものだけれども、最終的にはどれもイギリスだから受け入れてきた。それをアメリカは自分自身でも誇りに思っているし、これから先もそんなイギリスと一緒に過ごしてゆけたらと願っている。
 だけど、これだけはどうしても受け入れられない。
 あるまじきことに涙がこみ上げそうになって、アメリカは慌てて瞬きを繰り返した。
 アメリカはイギリスを愛している、彼なりに。そしてイギリスもアメリカを愛してくれているのだという。彼なりに。それなのにイギリスはアメリカ以外ともベッドを共にする。アメリカを愛していると云いながら。
 自分には何が足りないのだろうか。イギリスを満足されられていない? それとも彼はもうこの関係を終わらせてしまいたいのだろうか? アメリカにはそれがわからない。
 空は高く青く、アメリカは涙を流すこともできずに立ち尽くしている。


(08.26.09)

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