とけあうことはなかったよ



 アメリカさんは浮気している。
 私とアメリカさんとは恋人同士ではあるらしいけれども、しかしそもそも恋人となるための契約は交わしてはいないので、場合によっては私と彼の関係はセックスフレンドとかそういう呼び方をされてもおかしくないかも知れない。その場合、アメリカさんは浮気しているとは云えない。正しくは、アメリカさんは私以外の人とも枕を交わしている、ということになるだろうか。
 私と彼の関係はわりと曖昧なもので、それは私が望んだためにこうなっている。はっきりと恋人同士であると宣言するのは嫌なのだ。関係を明らかにすることによってその責任を負うのも好きではない。恋人には恋人の権利と義務があって、私はその権利があまり欲しくなかったし、そのために権利に付随する義務など尚更欲しくなかった。
 だから私はアメリカさんが私以外の人と寝たりしてもそれを糾弾することはない。
 アメリカさんはどちらかと云うと私のことを気にいっているように見える。休みの度に遠い東の島国までご足労いただくのは申し訳ないと思う反面、時々はそれが鬱陶しくも感じる。私は基本的には引き籠りなのだ。一人の時間というものを大切にしている。
 アメリカさんが私との関係をどう思っているのか、私は知らない。過度に干渉するのもされるのも好きではないからだ。ただ、アメリカさんは私に好きだと云う。言葉にして私に伝える。場合によっては愛しているとさえ云う。それに私はありがとうございます、と毎回返している。彼はその度に変な顔をするけれども、これは日本の文化ですからと宥めてやると黙る。黙って私に抱かれるままになる。私はそういうときに限ってアメリカさんを愛しいと感じる。
 セックスはそれほど楽しいものではない。どちらかと云うと私は現実の快楽とかそういうものよりももっと情緒のあるものを好むので、アメリカさんとのセックスは義務感が半分、愉しさが半分といったところだ。
 今も私はアメリカさんにくちづけながら、これはこのままセックスをするべきなのかと考えを巡らせている。
「ん……」
 舌を絡めてするキスはアメリカさんの方が得意だ。わりと情熱的なそれにやや押され気味になりながらアメリカさんの頬を撫でる。これはもう十分でしょうという意思表示だ。
「にほん……」
 アメリカさんの両目は度重なるくちづけと接触によってわずかに潤んでいる。それは恐らく私も同じなのだと思う。私はアメリカさんに取り敢えず笑いかける。どんな時も笑顔を見せればそれで済むと私は思っている。
「どうしたいですか?」
「……解ってるだろ、日本、」
 子供に話しかけるように訊いてやると、アメリカさんはちょっと頬を膨らませてこちらを軽く睨む。そうしていると元々随分年下である彼はますます幼く見えて可愛い。体格はアメリカさんが随分勝っているとは云え、そういう子供っぽい表情はなかなかくる。
「いいですよ、あなたの望むようにして差し上げます」
 私はそっとアメリカさんを誘導して寝室へと連れて行く。アメリカさんの未だ少年じみた頬は、これから先を期待してかすかに紅潮している。
 今日はどうだろうか。私は黙ってアメリカさんの手をひきながら思案する。今日は見つけることが出来るだろうか。
「さあ、横になってください」
 時間が遅かったので既に布団は敷いてある。アメリカさんのために用意した別室の布団は、おそらく今夜は使われることはないだろう。
 布団の上に所在なげに座るアメリカさんの頬をそっと手で撫でる。云われてすぐに横になるには羞恥心が勝っているのかもしれないが、布団の上でぎこちなく正座などされてしまうと、まるで年若い少年に無体なことを強いているかのように錯覚してしまう。
 実際にこれから無体なことをする訳だけれども。
「アメリカさん、可愛いですよ……」
 耳元に囁きかけながらゆっくりと肩を押す。アメリカさんはそれに抗わず、白い布団の上に横たわる。ほんの数時間前に彼がみずから着た浴衣に手を掛けると、彼はためらいがちに帯を引っ張った。アメリカさんはもう何年ここに通っているだろうか。この浴衣は彼のために用意したものだが、はじめのうちは私が手ずから着せてやっていたものだ。そのうち彼は自分で着方を覚えるといって、たいへん悲惨な有様になった浴衣を見てついつい噴き出したこともある。そうこうするうちにいつしか浴衣を着る手つきがこなれてきて、今では彼は私の家で風呂を借りていくと自分で浴衣を着るようになった。
 二人とも帯を外してそこらに投げ捨てる。私の羽織はアメリカさんの手によってはだけられ、それも脱ぎ棄てて脇に置く。今日の羽織は気に入っているものなので、あまり皺にならないといいがと考える。どうせ彼には羽織や着物の良し悪しは解らないだろう。
 アメリカさんにのしかかった姿勢のまま、片膝をアメリカさんの足の間に割り込ませる。途端に彼は頬をあからめた。若いな。それが私の感想だ。
 私とアメリカさんがセックスをする際は、私がタチでアメリカさんがネコだ。衆道はそこそこ経験してきたが、ネコをやるのはあまり好きではない。最初にどちらがタチをやるか揉めるかと思ったが、アメリカさんはあっさり私に譲った。どうやらお互いにお互いが子供のように見えるらしく、アメリカさんの倫理観に照らすと少年を組み敷くような図になることにどうしても抵抗を感じたらしい。彼が他の誰かと寝るときはどうなのか知らないが、私は相手が子供っぽくても何の問題もないので、それで今日まで私がタチであることは変わっていない。
 私はアメリカさんのはだけた浴衣の中に手を差し入れて素肌を辿る。お互いに半ば着衣の状態であるが、完全に全裸になるよりは私は多少は衣類を身につけたままの性交が好きだからだ。アメリカさんはそれに異論があるようだが、大概私の思い通りになる。じっくりと触れていると、アメリカさんの息が上がって、何度も名前を呼ばれる。
「に……日本……」
「どうしました?」
 敢えてにっこり微笑みかけてやると、アメリカさんの視線がふらふらと逸らされる。既に十分赤い顔では、赤面したのかどうかよく解らない。まだ触れていなかった下半身に指先をついと滑らすと、アメリカさんの腰がびくりと跳ね上がる。
 欧米では十八から成人であると考えられるらしいが、彼の体は十九どころではなくそれ以上に成熟しているように見えて、まだまだ成長の余地があるようにも感じられる。やはり若いだけある。ようやく性器に触れてやると、アメリカさんはちょっと意地を張ったような顔をして私の身体をまさぐった。確かに快感はあるが、触れられるのはそれほど得意ではない。目を細めてアメリカさんを見遣ると、彼は何を勘違いしたのか小さく微笑んだ。
「きもちいいですか」
「うん。日本は……?」
「愉しいですよ、とても」
 ああ愉しくて仕方がない。アメリカさんのそこに指をつぷりと差し入れながら私は嗤った。彼の身体に、目に見える痕跡はなかった。だけど、ここを探れば解る。おそらく彼はほんの一日か二日前に誰かと寝たのだろう。しかも、受け身で。普段より少し柔らかいそこを丁寧な手つきで探ってやると、アメリカさんはたちまち息を乱す。
「ん、んう……あ、あっ」
 くすくす笑いながら指をもう一本差し入れる。中で開くようにしてやると彼は上ずった喘ぎ声を上げた。
 こういう痕跡を見つけるのは愉しい。かれは一体どういう言葉で、顔で、私以外の男を誘ったのだろうか。あるいは誘われて拒まなかったのだろうか。
 私は熱心にアメリカさんの身体に愛撫を施しながら夢想する。前回こうして枕を共にしたのは半年以上前のことだった。きっと彼は寂しかったのだろうと思う。まだ若いことだし、なかなか連絡を寄越さない私の態度に不貞腐れてバーか何かで酒でもあおったのだろうか。そこに誰かが現れる。相手は国でもいいし、ゆきずりの人間でもいい。とにかくアメリカさんに誘いを掛けて、最初は手酷く断られるけれど、結局隣の席で酒杯を交わすことに成功する。あとは口八丁でどうにかなるだろう。寂しいのか、と訊いてやる。勿論バーで独りでいて寂しくない訳がないだろう。だが、きっと彼はそれに絆されるのだ。それでちょっと飲みすぎてしまって、相手の誘いを断り切れなくなる。
 性器でするように指をまとめて抜き差ししてやる。アメリカさんは震えを堪えるように私の肩を掴んだ。やはり彼の方が力があるだけに、少し痛い。だがすっかり愉しい気分になっている私はそんなことは気にしない。
「ね、アメリカさん……いれますよ」
「ん、うん、日本、はやく……」
 アメリカさんの腰を抱えて、私はそこに熱くなったものを押し当てる。何度か滑らせるとアメリカさんは眼尻に涙さえわずかに滲ませて私を睨んだ。かれは他の男に抱かれる時もこんな眼をしたのだろうか。考えるだけでいくらか興奮して、私はゆっくりとアメリカさんの中に侵入する。
 ホテルか何かのベッドに横たえられて、アメリカさんは男にくちづけられる。かれは唇に関しての貞操観念を持っているのだろうか。是非知りたいところだが、私が彼にそれを訊くことは難しいだろう。こんどフランスさんあたりにでも訊いてみようか。そんなことを思う。彼が誘う相手がいるとしたらフランスさんか、イギリスさんが妥当なのではないかと思えるからだ。
 私は興奮に唇を何度も舐めながらアメリカさんを突き上げる。正直この年になってこんなことをしている自分が不思議なくらいだが、アメリカさんが快感を堪えながら目を閉じているのを見るとそんなことはどうでもよくなる。
 アメリカさんとこういうことをする時、私は正常位を好む。獣の姿勢も跨られるのもあまり好きではなくて、だからおそらく彼がほかの男と寝る時は逆に正常位だけはとらないのではないかと思われる。男の腹の上に乗って自ら腰を振るアメリカさんを想像すると、喉の渇きがいっそう激しくなるような気がして、私はアメリカさんにふかくくちづけた。普段はあまりしないが、こういう時だけは何もかも奪うようなキスがしたくなる。
「あっ、ああーっ、日本、にほん、」
 快楽を感じている表情と苦しみを耐えている表情は似ている。嗜虐的な気持ちがこみ上げてきて、私はアメリカさんの首筋に噛みつく。痕を残すような真似はしないが、彼はそれに十分感じたようで、私を包み込んでいる部分が何度も痙攣する。絡みつく肉を深く穿つと、彼は一際高い悲鳴をあげて達した。構わず動き続けると、泣きそうな眼で私を見ながらくちびるをわななかせた。
 ようやく満足して私も達する。しばらくゆるゆると動いて内部の蠕動をたのしんでから引き抜くと、アメリカさんは安堵したような溜息をついて目を閉じた。こうなると彼はしばらくは動かないので、私も遠慮なく真横に寝そべって余韻に浸る。
 私は入るつもりだが、アメリカさんはもう風呂には入りたがらないだろう。あとで体を拭いてやろうと考えて、ふと横を見ると、彼は既にはっきりした意思を見せる眼で私を見ていた。まだ荒い息のまま、だが明確に覚醒した状態でじっと見つめられ、私は一瞬息を呑んだ。
 だが、私は日本だ。
 すぐさま微笑んで見せると、アメリカさんは一度ゆっくり瞬きをしてから再び私を見つめた。先ほどまでの強い視線はもうどこにもなかった。
「よかったですか」
「……うん」
「また遊びに来てくださいね」
「……そうする」
 優しく髪を撫でてやると、アメリカさんは諦めたように眼を閉じた。
 それほどセックスに一生懸命ではない私は、普段は半ば義務的にアメリカさんと肌を重ねている。自発的に誘いをかけることなど一度もなかった。けれども、アメリカさんがほかの誰かと寝てきた時は別だ。普段の私からは考えられないほど積極的になる。浮気されているかと思うとおかしいくらいに興奮してしまうからだ。寝盗られている、そう思うだけで急にアメリカさんを愛しく感じてしまう。
 そして、アメリカさんはおそらくそれを解っているのではないかと思う。
 きっと最初の一回は本当に間違いだったのだ。彼は決して気の多い類の人ではないから。だけど彼は同時に、私が彼に何を望んでいるのかを察したのだろう。
「アメリカさん」
 私はアメリカさんを見つめる。ほとんどうつぶせに近い状態で布団に横たわっている、そうすることでこぼれた涙を隠しているアメリカさんを見る。なんだい、とやや掠れた声が返されて、私はそっと微笑んだ。
「私のことがすきですか」
「すきだよ……」
「ありがとうございます」
 歪んだ関係と云えばそれまでだが、それでも私は私なりにアメリカさんのことを大切に思っているのだ。


(08.27.09)

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