君の願いをいてあげる 0


 赤い絨毯の敷き詰められた広間。さざめく人波。揺れて動く人々の柔らかな動きはひそめられた低音の囁きに撫でられてひとつの巨大な生きもののようにうごめく。瀟洒なつくりの高い天井に囁きが響くこともあいまって、そこは深海のような密度を保っている。煌びやかに着飾った貴族たちが、これから執り行われる式典を前に囀りをあげている。
「……あの方は亡くなられたと聞いていたが」
「身の程をわきまえもせず……」
「他の皇位継承者をおそれていつまでもこそこそ隠れていたのだとか、」
「全く、シュナイゼル殿下のなさることとは思えませんよ……」
「今度のために継承権を返上されたのだそうだ」
「殿下も気紛れでいらっしゃる……」
「そう、第11皇子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア殿下と仰る」
 言葉の波が最高潮に達した時、不意に音もなく扉が開かれた。逆光に浮かんだ影はまだ若い少年のもので、貴族的な体の線は背中から受ける陽光に削られて一層細い。
 一斉に向けられた視線に注意を払うことすらせず、少年は迷いなく正面に向かって歩を進めた。濡れたような黒髪と、それとは対照的にどこまでも白い騎士服。深い紫色の視線の先には、この日のために用意された玉座がある。水をうったように静まり返った人々が少年のまなざしが向けられているものを追えば、たった今歩き出てきた長身の男が玉座にかけて少年を待っていた。
 階段を昇りきって玉座に到達し、少年が男の前に跪いた。忠誠を示す左腕を胸の前に掲げ、戦うべき右腕は背中へと引いて。
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。汝、ここに騎士の誓約を立て、ブリタニアの騎士として戦うことを願うか」
 王の血筋の前に屈する少年はこれまで多くの名前を持ってきた。だがそれもこの場では全てなかったことになる。彼が一度も望んだことのない名前を呼ばれ、少年は顔を上げて異母兄を見た。
「イエス、ユアハイネス」
「汝、我欲を捨て、大いなる正義のために、剣となり盾となることを望むか」
「イエス、ユアハイネス」
 腰にさげられた剣を一息に抜き、刃を自らの胸に向けて柄を差し出す。男は微笑みをたたえて剣を受け取った。彼らの一連の動作はそれを見守る人々にどのような思惑も読み取らせはしない。ブリタニア国旗を背に、儀礼にのっとって男が少年を見据えて剣を翳した。
 少年の表情は、頬にかかる黒髪とそれが投げかける陰影のために窺い知ることができない。これまで黒を好んで身に纏ってきた彼を包み、騎士服は広間に溢れる光をかえしてあざやかに白い。剣の祝福を受けるために顔を伏せる、その僅かな動きに金の飾り紐が軽やかに揺れた。切っ先がひらりと翻り、少年の両肩に触れる。
「私、シュナイゼル・エル・ブリタニアは、汝、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアを騎士として認める。勇気、誠実、謙譲、忠誠、礼節、献身を具備し、日々、己とその信念に忠実であれ」
 返された剣を鞘に収め、男の指先に促されるまま少年は立ち上がり振り返った。
 これで彼は、高位とは云えなくとも皇位継承者でありながら、それを放棄して正式に第2皇子の傘下についたことになる。実情はどうあれ、第2皇子を擁護する人々にとっては喜ばしいことでありはしても否定するまでのことではない。居並ぶ貴族たちを無視して虚空を眺めれば、轟く拍手と形ばかりの賞賛の声を少しでも遠く感じられるような気がした。
 少年はもはや彼があれほどまでに憎んだ皇室の騎士であった。生きながらにして死ぬ権利と引き換えに、彼は全てを失う絶望を手に入れて立ち尽くす。


(06.10.07)


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