君の願いをいてあげる 1


「何事も手始めには雑務がつきものだよ、ルルーシュ。まあ最初のうちは私に任せて、お前は自室で寛いでいなさい」
「はい、兄上」
「まだ当分は身の安全に気をつけるんだよ」
「はい、兄上」
 シュナイゼルに云われるまま頷き、用意された自分の部屋に大人しくこもるのもこれが三日目だった。
 もはや絶対服従以外の選択肢を持たないルルーシュにとって、シュナイゼルの「提案」や「忠告」はそのまま命令でしかない。「部屋で寛いで」いるために室内からは一歩も足を踏み出さず、「身の安全に気をつけ」るために外部との接触は最低限に留め、窓とカーテンを閉め切り客も断った。軟禁同然の状態で、ルルーシュは閉め切った薄暗い窓際にテーブルを寄せ、一人チェス盤を睨んでいる。時刻はそろそろ日付も変わる頃、室内は適温に保たれてはいても窓辺では多少肌寒く感じられる。
 実際はここまで神経質になる必要もなかったはずだ。エリア11の政庁でルルーシュに与えられた部屋は、現在エリア11の代理総督を務めるシュナイゼルの居室からは、彼の五人の騎士たちの滞在する部屋の次に近い。それどころか、ルルーシュの部屋から先はシュナイゼルの騎士や副官たち以外はそもそも出入りを許されない、つまりは彼の個人的居住区のような場所になっている。安全と云えばエリア11の中でここ以上に安全な場所などあるはずがなかった。
 だから結局のところルルーシュは体よく軟禁されているのだった。少なくともルルーシュ自身はそう結論を出した。確かに一度は捨て駒にされた元皇位継承者の騎士などというものが、ブリタニア貴族たちの謀略渦巻く中をふらふら出歩いて問題が起きないはずがない。自分の立ち位置すら定まらない状況下で下手に騎士としての役目などを与えられるよりは、こうして自室で大人しく待機している方が負担も少なくて助かる。第一、異母兄弟であってもクロヴィスやユーフェミアを殺したルルーシュは信用するべき人間ではないのだから、やはり自由を奪っておくことは無難な選択だ。
 しかし幾ら何でも退屈だった。時折シュナイゼルが訪れるとはいえ、普段は話し相手さえ居ない。するべき仕事もない。出歩くことがままならないどころか、外の天気を確かめることすらできない。娯楽に興じるほど暢気ではいられず、だが張りつめたところで得られるものもない。特にこれまでの生活が多忙を極めていただけに、有り余る時間というものは大きな苦痛をともなった。日がな一日チェス盤と向き合って過ごしながら、ルルーシュの脳裏には妹や友人たちのことばかりがよぎる。
 ナナリー。ミレイ、シャーリー、リヴァル、ニーナ。カレン。黒の騎士団。C.C.。……スザク。みんなどうしているのだろうか。
 ゼロとしての自分は死んだことになっているし、そもそも学園とはトウキョウ租界での決戦が失敗すれば二度と戻れない覚悟の上で戦火のどさくさに紛れて連絡を絶っていた。第11皇子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアとして再び姿をあらわしはしたが、連絡どころか未だに友人たちの無事すら確認していない。辛うじて妹が無事で、間接的にシュナイゼルの保護下にあるという情報のみがもたらされたばかりだった。かれらの友人として、これは薄情どころか非道としか云いようがない。かれらの中で友人だったルルーシュ・ランペルージはもう死んだことになっているのだろうか。
 キングを手に握ったままぼんやりと考えを巡らせていると、不意にノックの音がした。深夜にルルーシュのもとを訪れようとする人間は、今のところ一人しかいない。
「こんばんは、兄上」
「遅くに済まないね、ルルーシュ」
 扉を開ければ、端正な顔立ちをした異母兄が柔和な微笑みと共に部屋に滑り込んでくる。そのままごく自然な動作でソファに座る様子を横目で確認しつつ、ルルーシュもそれに合わせて紅茶の用意を始めた。
 シュナイゼルはこうして毎晩一度はルルーシュのもとに顔を出す。長ければ数時間、短ければほんの数分で終わる彼の訪問は、その真意はともかくとして、少なくともルルーシュに会話の機会を与えている。何から何までシュナイゼルの支配下にある証拠のようで癪だが、彼の訪問を受け入れることは無聊を紛らわす意味でも服従の姿勢を見せる意味でも有益ではあった。
「今夜ははやいですね」
「ああ、雑事も取り敢えずは大半が片付いた。あとは細々とした整理だけだからね、気楽なものだ」
「最近はお忙しかったようでしたが、これでひと段落ついたことになりますね」
 どちらも口にはしないが、ユーフェミアの死と直後の一斉蜂起以降、コーネリアは総督を退いて一旦本国に戻っている。シュナイゼルがこなさなければならない執務は、ルルーシュの件よりは主にコーネリアの残した後処理のためのものだ。
 だがルルーシュが知るのはここまで。それ以上の情報をルルーシュは持っていないし、手に入れるすべもない。密室でひたすら帰順の姿勢を見せることだけが、今のルルーシュに許される唯一の行動だった。
「それでは今夜はチェスでもどうですか」
「かまわないよ、昨夜は時間がとれなかったからね」
「はい。前回の手をあれから考えていたのですが、終盤での戦術として異なる駒を動かしていた場合を想定して……」
 来客を見越して既に大方の準備は済ませてあるため、支度にそれほど時間は掛からない。紅茶にクッキーを添えてシュナイゼルの前に並べ、返答の言葉を返しながらルルーシュは何の気もなく視線を上げた。途端、表情はほぼ動かさないままでシュナイゼルの目が僅かに細められた。
「あ……」
 咄嗟に左眼を押さえようとしたためにティーカップがテーブルに勢い良く触れて音をたてた。左眼を手で覆い隠し、ルルーシュは俯く。紅く染まった眼は二度と元の色には戻らない。
「申し訳ありません、すっかり忘れていて……すぐに何か覆うものを、」
「私は大丈夫だよ、ルルーシュ」
 眼帯を取りにテーブルから離れようとしたルルーシュをやんわりと引きとめ、シュナイゼルは鷹揚に笑う。
「私にはギアスは効かない。そうだろう?」
「そう……でしたね……」
 安堵してため息を吐く。全身の力が抜けてはじめて、自分がわずかな時間の間にどれほど張りつめていたかに気が付いた。制御のきかなくなったギアスはルルーシュに深い傷を残している。自分の意志とは関係なくギアスが発動することへの恐怖をルルーシュは決して忘れることはできないだろう。
 たぷりたぷりとティーカップの中で紅茶が波立つ。
「だから安心するといい。……さて、紅茶を飲んだらチェスで一勝負しようか」
「はい、兄上……」
 結局のところ、こうしてルルーシュを軟禁しておくことには意味があるのかも知れない。ルルーシュは生きながらにして死んでゆくことを最もおそれている。叛意も学生としての生活も親しかった人々も失って、生きてゆくだけの目的は既にない。意味もなくただ生き続ける、それはルルーシュにとっては拷問でしかなく、そんな軟禁生活の中でルルーシュに死なないための理由を与えようとしているのが唯一シュナイゼルだけだった。いつの間にか自分がシュナイゼルに依存しかけてしまっていることに、ルルーシュは気付きながらもそれに縋らないわけにはいかなかった。


(06.20.07)


戻る