You're so physical.


「そっか」
 ぐらぐら揺らぐ視界の中でスザクがにっこり微笑む。心拍数が速くて、速すぎて俺は息も絶え絶えになってただスザクを見る。身体中の血液が音をたててめぐる。スザクの表情は動きもしないで穏やかだ。
「それが君の選択なんだね」
「……ああ」
 ずっと黙っていたせいか、声は掠れてはっきりとした音にはならなかった。それでもスザクには辛うじて届いたようで、ひとつ頷いてスザクは一層明るく笑った。視界の端に鈍いひかり。
「じゃあ、僕はちょっと席を外すけど。……僕が必要になったら呼んでね」
 どこまでも、限りなく、やさしい微笑。

 スザクがユーフェミアの騎士になったと聞いて、多分誰よりも驚いていたのは俺だろう。イレブンがブリタニア帝国皇女の騎士になることに世間は動揺したのだろうけれど、彼が俺たち兄妹を選んでくれるはずだとばかり思っていた俺の受けた衝撃はその比ではなかった。だって彼は守ってくれるはずだったのだ、俺を、ナナリーを。信じてそれを疑いさえしなかった。
 言葉にしなくても伝わるものは多いと思っていた。仕草で、行動で、表情で。自分はいつだって彼に訴えかけていたのに。彼が必要だと。彼でなければ駄目なのだと。
「な……なんで。スザク」
「なんでって、何が?」
 祝賀パーティーの準備をしている間じゅうずっと頭の中は強い負の感情でいっぱいになっていた。主催のひとりでもあるナナリーの気持ちを考えてただひたすら平静を装ったが、俺に出来ることはそれが精いっぱいだった。何とかパーティーの直前にスザクを見つけ、現在使われていない厨房の片隅で二人きりになることは出来たが、始まるまでもはや余裕はほとんどない。焦りもあって、やっとのことで絞り出した声はぶざまに震えていた。対して、スザクは自然そのものの微笑みを浮かべて俺を見守っている。
 今まで示してきた感情や信頼はどれも届いていなかったとでも云うのだろうか。胸の中で溢れる感情があまりにも強くて、呼吸が困難になってゆく錯覚に陥りそうだ。視線を彷徨わせれば、ステンレスの流しの淵にいびつに歪んだスザクの姿が映っている。
「どうして……ユーフェミアの騎士に、なったんだ」
「変なことを訊くね、ルルーシュ」
 スザクは困ったような顔で相変わらず微笑んでいる。子供に我が儘を云われて対処に迷う大人のような顔。思わずかっとなりそうな自分を抑えてスザクを見据える。
「質問に答えろ」
「ユフィにお願いされたからだよ、勿論」
「え……?」
「理由なんてそれだけだよ。他に何が必要だって云うの?」
 それが当然だと信じて疑わない表情でスザクは言葉を重ねていく。目の前が暗くなっていくようだった。いつもどおりのスザク、変わらない俺の友人。何日か前には身体を重ねさえした、その吐息さえまだ耳許に残っているようにさえ感じられるのに。好きだよ、ルルーシュ。あれは。あの言葉は、約束ではなかったのか。
 彼は一体何を云っている。お願いされたから?俺はあれだけスザクに俺たちの傍に居て欲しいと示し続けてきたのに。ユーフェミアが現れる、それこそずっと以前から。
 スザクの何を信じたらいいのか、解らなくなっていく。
「スザク」
「騎士になって欲しいと云われたんだよ。僕はちょうど誰の騎士でもなかったし、」
「スザク!」
「どうして怒るの」
「どうしてって……!」
 不思議そうな顔をするスザクが信じられない。俺は何かとんでもない事を云ってでもいるのだろうか。二人きりの薄暗い厨房に、声を荒げた余韻がわずかに反響している。罵声を呑み込んで睨み付ければ、スザクが宥めるように首を傾げる。
「だってルルーシュは僕がナナリーの騎士になることを期待していたんでしょ」
「……スザク……?」
「ルルーシュは期待しただけだ。僕がルルーシュの期待を知っていてそれを拒んだりしないのだとばかり、思っていただけ」
 俺は呆然とスザクの顔を凝視した。言葉も出なかった。
 期待した、だけ?
「僕たちはひとつだって約束はしなかっただろ?君は僕にナナリーの騎士になって欲しいって、傍に居て欲しいって頼んだりしなかった。僕もずっと傍に居るなんて云わなかった」
 それだけだよ、と笑うスザクは楽しげにさえ見える。ひとに取られてから悔しがるだなんて、ルルーシュも案外子供っぽいところがあるんだね。
「言葉にしてくれなくちゃ解らないよ。何も。全然」
「そんな……言葉にしないと伝わらないなんて、そんな訳が、」
「現に君は僕がどうしてユフィの騎士になったのか、僕が云うまで全然知らなかったじゃないか」
 反駁もあっと云う間に切り返される。スザクは、彼は、本当についさっきまで俺の友人であり恋人であった人間なのだろうか。目の前の彼はこんなに普段どおりなのに。
「君が言葉をくれたら考えてあげようって思ってたんだけどね。あんまり君が呑気なことを考えてるから、先に声をかけてくれた方についてみただけだよ。……僕に察しろなんて駄目だよルルーシュ、望むことは全部云わないと叶えてあげない。執着は形にしてくれないと、僕は満足しないんだよルルーシュ」
 スザクがやさしくわらっている。その優しげな笑顔から吐き出される言葉に俺は溺れていくようだった。スザクが今まで隠してきていた毒々しい感情が絶望のように降り注ぐ。絡み付く執着に呼吸さえくるしい。
「ユフィは幾らでもくれた。言葉も、態度も、何でも。だから君がそれをくれないって云うのなら、……ルルーシュ。僕はユフィを選ぼうと思う」
 俺は救いを求めて小さく喘いだ。そんな。そんなこと。ユーフェミア。
 だってスザクは俺のために傍に居てくれないといけない。それはスザクじゃないといけない。ずっと一緒に。ナナリーと三人、で。
 視界の端に、にぶいひかりがみえる。
「ああほら、そろそろ行かないとパーティーが始まってしまうよ。せっかくナナリーが発案してくれたんだから遅刻しちゃいけない」
 何事もなかったかのように。ごく自然に振り返ったスザクを見て、俺の中でなにかが切り替わった。
「……ナナリーの騎士に、俺のものにならないのなら」
 俺はにぶくひかるそれを掴んだ。思いのほか掴みやすいそれは俺が何か考える前にスザクの胸のあたりに向かって一直線に動いた。
「そんなお前は要らない」
 振り下ろした手に確かな手応えがあって、続いて血がぱたぱたと滴った。俺の手首を掴むスザクの手から血が溢れ出す。硬い金属音と共にあのにぶいひかりが視界から消えた。全身の自律神経が混乱している。自分の身体が自分のものでないようだ。耳鳴りがうるさい。
 苦笑を浮かべてスザクが自分の手と僕を見比べる。
「あーあ、これちゃんと隠せるかなあ……でも、そっか」
 それからやさしくわらった。しあわせそうに。
「嬉しいよ。……それが君の選択なんだね」


(06.25.07)


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