わい話


 ブライが吹き飛ばされて、激しい衝撃と共に上下の感覚を見失いながら、ルルーシュは怒りとも落胆ともつかない気分にさせられていた。ああ、またか。生身の身体でもナイトメアフレームでも、どうも自分はスザクに殴り飛ばされてばかりだ。指揮官として見苦しいと思う反面、頭脳派の自分には戦闘は向いていないのだから仕方ないという諦めも掠める。どれだけ知略に長けていたところで、原始的な暴力の前にそれは無力だ。次の刹那にはルルーシュはブライごと地面に叩き付けられ、一瞬呼吸を忘れた。
「っふ!ぁ、ぐっ……!」
 痛みは少し遅れて中枢に達する。圧迫された肺から息を吐き出しながらルルーシュは呻き声をあげた。ぶざまだ。だがその苦悶を聞く人間は周囲には一人として居ない。安全ベルトに締め上げられた身体が反動に軋む。きっと衣服を脱いだら盛大な痣になっているだろう、だがルルーシュには暢気に苦しんでいる時間はなかった。衝撃から立ち直るまでの時間さえも惜しんですぐさまブライを操って体勢を整えようと、急がなければ早く早く距離を詰められる前にはやく。
「……!」
 再び走る衝撃、コックピット内でこめかみを打って意識が飛びかける。にぶい痛み。わずかながら血が飛んでモニターを汚す。ああ仮面を被ってさえいれば怪我はしなかった、とっさにそんなことを考えてしまう自分は混乱している。それよりも現在の状況は。
 顔を上げれば視界いっぱいに白、白い、ランスロットの白い機体。あれだけの長距離を吹き飛ばしておいてもう追い上げてきていたのか。どうにかして反撃を考えるが、考えようにも実行に移す間もなくブライの右腕が掴まれ無理矢理に引き千切られる。断線されたコードからばちばちと火花が散らされるのにかまわず、ランスロットが残る腕を抑えて背後に回る。なす術もなく再び地面に倒れ込んだ機体からは何も見えない。視界はうってかわって一面の黒。ブライ全体がみしみしと悲鳴を上げる。
「くそっ!」
 完全に捕まった。こうなったら脱出を最優先するべきだと判断し、咄嗟にコックピットの射出装置を起動させるが、内部でがりがりと嫌な音を立てるばかりで正常に作動しない。装置はまだ死んでいないはずなのに、何故。だが疑問に思うまでもなく、容赦のない外部からの圧力がコックピットにかかる。ランスロットはコックピットを引き抜くつもりなのだ。それで脱出ポッドという唯一の退路すら意味をなさなくなる。逃しはしないとランスロットの動きが物語っていた。ゼロは生かして捕える。捕らえて、そして。ルルーシュはさすがに背筋を駆け抜けた死への恐怖に息を呑んだ。
 青褪めるルルーシュのおさまるコックピットがブライから切り離される。周囲でばちばちと散る火花。遠慮も何もない動きで揺さぶられて、ルルーシュはあげそうになった悲鳴を必死で噛み殺す。一際大きな衝撃。装甲のたわむおそろしい音と共にコックピットが抉じ開けられ、ルルーシュは目を見開いた先にランスロットの頭部を見た。選択肢はもはやルルーシュのものではない。勝者はこの白い騎士だった。
「あ……」
 中に搭乗しているスザクと目が合ったような気がした。仮面、ゼロの仮面はどこに。ランスロットにはスザクが。どうしようどうすれば。見られた。全て。
『そんな、まさか……』
 スピーカーを通じて響いた、聞き慣れた声に我に返った。ルルーシュの命を握る白い機体はコックピットに手をかけた姿勢のまま何の動きも見せていない。動かない思考を無理矢理反応させて視線を向ければ、スザクが素早い動きでランスロットから出てきているところだった。信じられないものを見るその表情は硬直している。
「ス……スザク……」
 考えようとしても思考は凍りついたようになって全く動こうとしない。ルルーシュは後先の計算も忘れ、ただ必死になってコックピットの残骸から這い出した。視線はもはや恐怖の対象となった親友に固定されたままだ。後ずさった姿勢で半ば転がり落ちるようにコックピットから離れる。少しひねったのか、地面を踏んだ足が痛む。転がり出てきたゼロの仮面がつま先に当たってようやく、ルルーシュは逃げることを思い出した。
「……ルルーシュ!」
 ここがどこなのか、仲間はどこに居るのか。そんなことも考えてはいられない。背中を向けて闇雲に走り出すルルーシュをスザクが追う。逃げながら振り返ったルルーシュが恐怖に掠れた悲鳴をあげる。
 二人は走っている。夜間の奇襲を好むルルーシュが作戦を開始してから既に数時間が経過していた。時刻は深夜に近づき、遠くからわずかに響いてくる戦渦さえも夜の闇に塗りつぶされている。森の中を二人は走る。
「うあっ」
 おぼつかない足許がバランスを崩しかけたと同時に強く腕を引かれる。反動で後ろにのけぞったかと思うと、ルルーシュはスザクの腕に拘束されていた。両腕を背中で捻りあげられる。
「ルルーシュ」
 後ろから抱きすくめられる体勢でルルーシュはひたすらに全身を強ばらせている。おそろしいことにルルーシュは親友の気性を熟知していた、それが一層恐怖を煽る。これでもう逃げられる機会は二度とないだろう。スザクは震えるルルーシュの顔を覗きこむようにそっとその名を呼んだ。ルルーシュの喉がひくりと鳴る。だが彼はそれ以上は何も云わずに唇ばかりを震わせている。
「……君が、ゼロだったんだね。ルルーシュ」
 穏やかに確認すれば、しばらく逡巡した後に彼は小さく頷いた。言葉もないようで、スザクはルルーシュに抵抗の意思がもはやない様子を見てとって拘束を緩める。お互いが向き合うように立てば、スザクの目の前には確かにゼロの衣服を身にまとったルルーシュが居た。
「よかった」
 目を細めて微笑めば、ルルーシュの表情から怯えやおそれが抜け落ちて純粋な疑問だけが残される。一瞬そんなあどけない表情を浮かべたルルーシュは、しかし次の瞬間にはスザクの言葉の裏を探ろうとしている。
「あはは、それならそうと、早く云ってくれればよかったのに!」
「……なにを、云っている?」
「解らないの?」
 懐疑的な視線を投げかけられてスザクは苦笑した。そうかあ、僕はまだまだ君には信頼されてなかったのかなあ。学園で、クラブハウスで、普段一緒に過ごしている時のものと全く変わらない笑顔で笑う。
 ルルーシュは呆然とそんなスザクを見つめている。抵抗や逃走といった選択肢は、そもそもルルーシュの脳裏からは忘れ去られてしまっている。
「君がゼロだって知ってたら僕だってあんなに抵抗しないで黒の騎士団に入ったのにね。秘密になんかしないでもう少し僕を頼って欲しかったなあ。お互い違う道を選んだんだったら仕方ないとは思っていたけど、君と敵対することになってしまうなら話は別だよね」
「ス、ザク?」
 ルルーシュは目の前の男を見つめる。白いパイロットスーツを着て優しく甘く微笑む親友を。親友だったはずの男を。
「だって僕にとって本当に大切なのは、ルルーシュ、君だけなんだから。君が大切にしているものは僕だって大切にする、君が守りたいものは僕も守るよ。だけどそれは君が望むからだ。僕には君が居ないと。君以外は全部全部全部僕にとってはどうだっていいんだよ、ルルーシュ」
 誰だろう。これは、誰なのだろう。スザクは昔は高慢で我が儘で甘やかされて育った個人主義者だった、年月や戦争と共に様々な経験を重ねて誰にでも分け隔てなく接する優しい人間になった、罪の意識のために人をすくって死ぬことを夢みながらも大切な人間を大切にできる男になった。ルルーシュの大切なともだち。それがスザクだと思っていたのに。
 目の前の男は、ルルーシュの知らないなにかだった。どこまでも正気の眼差しでルルーシュを包み込む。
「取り敢えず軍部の上司とか目についた皇族とかを片っ端から殺して君のところに行けばいい?それとも僕にはブリタニア側のスパイになって欲しい?何だって構わない、それで君が喜ぶんだったら君の好きなようにするよ」
 ね、僕は君が大好きだから。囁きと共に安心させるように額にくちづけられ、ルルーシュは白い怪物に抱きしめられて目を閉じた。


(10.11.07)


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