芽吹くころにはもくる 1


 実を云うと、僕には審美眼というものが備わっていない。僕自身ではよく解らないのだけれども、可愛いとか綺麗とか美しいとか、逆に醜いとか気持ち悪いとか、そういった観念に対する認識がどうも周囲と食い違うらしい。僕には何が何だか理解できないものが褒められている程度なら日常茶飯事で、僕が何か褒めてみたりするとそれはてんで的外れだと云われる。ひどい時は怒られることもある。もっと幼かった頃は他の人たちと感じ方が違うということで不安になったこともあったけれど、どれだけ「当たり前」の価値観を教えられても結局はそれを上手に身に付けることはできなかった。
 だから、僕にはまったく解らないのだ。
「ええと……君は、誰だっけ」
 困り果てて口にしたそんな言葉に相手がもともと白い顔を蒼白にしても、それでその女の子が俯いて立ち去るのを申し訳ない気持ちで見送っても。
「スザク、お前ってもしかしてすっげー馬鹿?」
 そんなことをクラスメイトに云われても、僕にはやはり自分がどんな「大きな魚」を逃したのか、よく解らなかった。
「どこから広まったんだろその話……」
 机に突っ伏してつい溜め息を吐いてしまう。僕には女の子の誰がずば抜けて可愛いとかそうでないとか、そういった区別をつけることが難しいのだ。みんな目が二つと鼻が一つと口が一つついているんだから大して変わりはしないと思う。それを口に出して殴られた経験は幼少時に散々積んだので同じ轍は踏まないけれども。
 僕にだってそりゃあ人並みに恋愛だのは体験したい気持ちはある。価値観の違いからいつも頬を張り飛ばされて終わることが多くて、告白されたからといって安易に付き合うことはしないと決めているだけだ。女の子を外見で判断できなくても中身に恋をすることはきっと可能だと信じている。
 ただ、どうやら今回は中身で判断したいという僕の信念が裏目に出たらしい。歎息する僕をリヴァルが軽く睨んでくる。彼はこのアッシュフォード学園の生徒会役員の一人で、転入してきたばかりの僕には何かと親切にしてくれている。僕も彼を信頼しているが、態度や口調のために軽く見えるようで実は非常に温和な性格をしている彼にしては珍しい様子なので、今度ばかりはよほど「大きな魚」を逃がしたと推測される。
「お前ねー……ルルーシュに告白されたんだろ。隣のクラスのルルーシュ・ランペルージに。あいつだって一応生徒会の副会長なんだぜ、副会長。枢木スザクに告白して玉砕って、今じゃ誰でも知ってるよ」
 噂が広まって当然だと云いたげな様子に感心しながら頷く。そうか、有名人だったのか。
「うーん、でも幾ら有名だからって、そういう噂をするのってプライバシーに関わると思うんだけど」
「……なんでお前ってそーゆー方面さっぱりなんだよ……」
 今度はリヴァルがふかぶかと溜め息をつく番だった。彼にしてみれば僕がルルーシュの告白を断ったことは余程信じられない所業だったのだろうか。告白を受け入れるとか、少なくとも未練らしきものを見せるのが正しい反応なのだと考えているようだが、それも仕方のないことだった。年齢と共に僕は自分の審美眼について昔ほど人に説明しなくなっていた。いちいち説明することが大変であること以上に、結局は相手からの理解を得ることができない場合が多すぎたからだ。だからリヴァルも僕がルルーシュを見ても何とも思わなかった理由までは知らない。
「しかも告白されてからの第一声があんた誰、って……お前も酷いよなあ。絶対色んな恨み買ってるって」
「そっかあ……はあ……」
 僕は最早机と同化する一歩手前だ。視界には机と窓しかない。彼女を傷つけたようだったのも心苦しい上に、これから様々な人間に睨まれたりするのかと思うといっそ机になってしまいたかった。それでも僕は僕の信念を曲げてまでして彼女の告白を受け入れたくはなかったのだ。僕はちゃんと自分から恋した相手と付き合いたい。告白されたから流されるだなんて間違った方法で恋愛をしようとしたって上手くいくはずがないんだ。うん、きっとそうだ。
 授業が始まる鐘の音がする。昼休みの屋上に広がる空は青かった。こんな嫌な気分の時はあの屋上で寝転がって空でも眺めていられたらきっと少しはましになりそうな気がするけれど。
 ああ、彼女はとてもかなしそうな顔をしていた。
「……それにしてもあいつが告白するなんてなあ……」
 最後にぼそっと呟いたリヴァルの声は、僕の眺める窓ガラスにこつんとあたってどこかへ消えた。


(10.03.08)

title from 白紙


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