ハミン日和


 翌日、スザクは再びランペルージ家であると思われる土蔵を訪れていた。入口の段差に並んで腰掛けたスザクの隣にはルルーシュが座っている。
「ルルーシュはブリタニアの皇子様だったんじゃなかったの」
「生憎俺たちを駒にしようとする輩には事欠かなくてな。戦争中のどさくさに紛れて何とか助かったからいいものの」
「ブリタニアには……まあ、帰れないか」
「帰ってこいと云われたとしてもこちらから願い下げだ」
 ルルーシュが吐き捨てるさまを横目に見ながら、スザクは小さく嘆息した。
「ルルーシュまだ怒ってるの」
「怒ってるで済むか!」
 今度こそルルーシュが眦を吊り上げて怒声をあげた。あれから何年も経つと云うのに未だにブリタニア皇帝の仕打ちを許せないらしい。どれだけ酷いことをされてもやっぱり家族だとは思うんだけどなあ、そう思ってしまうスザクはその点ではルルーシュとは考え方が違うようだった。
「でも、こんな暮らしでほんとにいいの」
「う」
 顔を上げれば視界いっぱいに青空が広がる。それをぼんやり見渡しながら尋ねれば、ルルーシュが言葉に詰まった。昔から口が達者だったルルーシュにしては珍しい。
「確かに人質にされたり、色々大変だろうなとは思ったけど。でも今の暮らしなんか昔より悪いんじゃないのかな。自由だけじゃ食べていけないよ」
「……ナナリーくらい、養えてる」
「じゃあ借金返せるよね」
「それは……」
 ルルーシュが深く溜息を吐いた。そのまま黙って俯いてしまう。借金を背負っている上に返済のめどが立たないことが余程屈辱的なのだろう。このあたりルルーシュは育ちがいい。
 昨日はあれから必死になって自分には彼らへの害意がないことを扉越しに延々説明しなければならなかった。スザクは確かに借金の取り立てを生業にしているが、だからといって理不尽な真似はしない。物事はすべからく話し合いで解決するべきだと考えているからだ。物理的な力を行使するのはその後だ。
「一体今までどうやって稼いできたの」
「……チェスの代打ちとか」
「だよねえ」
「悪いか」
「いや、そんな事云ってないけど」
 戸籍もないだろうからなあ。スザクは納得して頷いた。
 正規の職業につくには当然戸籍が必要だし、ルルーシュには年齢も足りないから、そうすると彼に出来ることは限られてくる。不幸中の幸いはルルーシュがどこからどう見てもブリタニア人であることで、これで少なくとも職を求めてもイレブンたちのように門前払いされることはない。しかし学生のアルバイトと称して雇って貰うにしても、長時間にわたる仕事はつまりナナリーを一人にすることになるし、そもそも彼に肉体労働は向いていない。そう考えれば、代打ちは妥当な選択だった。
「でもそれで足りてないんじゃあ仕方ないよね」
「……そのくらい解ってる」
「解ってるなら借金しちゃ駄目だよ。借金は計画的にって云うだろ」
「計画的に返済出来るならそもそも誰も借金はしないだろう」
「まあ、そうだよねえ」
 スザクは再びはあと息を吐いて空を見た。今度はルルーシュも一緒になって空をあおぐ。青い。七年ぶりに再会した友人と二人して地面に座り込んで、借金についてぼんやりと話をしているのが不思議に思えてくるほど青い。だがどれだけ澄んだ青空でも、そこから紙幣が舞い落ちてくることはない。
「お金ないんだよね」
「ああ、全然ない。今夜の晩御飯もナナリーの分だけだ」
「ルルーシュとうとう霧とか霞とか食べるようになったの」
「それが出来たらとっくに食ってる」
 ちらりと視線を向けると、ルルーシュは体育座りでぼうっとしている。今日は代打ちがなかったので、午前中はナナリーの車椅子を押して散歩に行ったりしていたのだと云う。二人で他愛もない話をしたりして、今は彼女はあの土蔵の中で眠っているのだそうだ。今にも倒壊しそうな土蔵に住んでいて、彼らは本当に大丈夫なのだろうか。この国にちょっとした地震が多いことをルルーシュは忘れてはいないだろうか。
「こんな生活で本当に幸せなの」
「ナナリーが居るだけで俺は十分だ」
「そう云うと思った。でも食べていけないんじゃそもそも生活が成り立たないでしょ」
「……俺にどうしろと」
「だから借金は徐々に返済していくべきなんだって」
「知るか。それよりもっと貸せ」
「無理だってば」
 二人分の溜息。ああ幸せが逃げていくなあ。スザクは吐き出された幸福を追って視線を彷徨わせる。ルルーシュもスザクの仕草を眺めていたが、ふと彼の腹部から空腹の音がした。
「あー、その、よかったらこれあげるよ」
「済まない……」
 鞄から昼食にしようと思って持ってきていたサンドイッチを取り出して渡した。あのプライドの高い彼が素直に受け取るところを見ると、冗談ではなくかなり空腹だったのだろう。ルルーシュは手にしたサンドイッチをじっと見つめてから、思い切ったように頷き、手早く開封して中身を口にした。無言でもぐもぐ咀嚼するルルーシュにペットボトルの水を差し出してあげる。受け取ったルルーシュの目が「どうせならお茶がよかった」と訴えていた。
「そんな目をしても水はお茶にはならないよ」
「そうだな。……そうだよな。お茶は水よりすくなくとも10円か20円は高いものだからな」
 たまにはナナリーに砂糖たっぷりのミルクティーを飲ませてやりたいと誰にともなく呟くルルーシュの視線が遠い。余程切羽詰っているのであろう友人の姿を見ているとスザクの胸は痛んだ。自分が何か彼にしてあげられることはないだろうか。だがブリタニア占領下にあるエリア11で、イレブンのスザクに出来ることは少ない。言葉少なくサンドイッチを食べ続けるルルーシュに、だからスザクは切々と借金返済について語った。グレーゾーン金利の話から長期的な返済計画の利点から借金生活から抜け出して健全な生活を送ることへの勧めまで。ルルーシュは何やら体育座りをした膝のあたりをぼうっと眺めていて、聞いているのかいないのか。
「……ね?だから、少しずつでもいいから返済をしていくことが重要なん、」
「何がなんだか解らない」
「へ?」
 突然遮られ、スザクは意表を突かれてルルーシュを見直した。さっきまで俯き加減に生返事をしていたルルーシュは、今はなぜだかふんわり微笑んでスザクを見つめている。少し困ったような頬笑みを向けられたままじっと見つめられていると、妙に居心地が悪くなってくる。スザクがわずかに身じろぐと、ルルーシュがそれに合わせたように身を乗り出してきた。
「俺は学問は大概得意だが、どうもその金利だのの仕組みがいまいちよく解らないんだ。もしかしたらそのせいで俺はなかなか借金を返すことができないのかもしれないな、借りた金は当然返すべきだってお前もそう思うだろうスザク」
「あ、うん」
「これから今日も何とか飯のたねになる仕事かバイトを探さないといけないから時間がないんだが、また明日来て俺に説明の続きをしてくれないか。そして俺を借金から救ってくれ」
「えっと、うん、それはいいけど……」
「そうか!よかった!」
 そう云ってにこやかに笑うルルーシュがあまりにも嬉しそうだったので、スザクは思わず更にこくこくと頷いてしまった。そうだ、仮にも彼はスザクの友人なのだし、友人が窮状から抜け出そうとするのを助けたいと思っておかしいはずがない。そのはずだ。じゃあまた明日!と爽やかに手を振られて、スザクはなんだか暖かい気持ちのまま別れを告げて土蔵を後にした。
「あれ」
 結局煙に巻かれてしまっただけだということに気付いて振り返った時には幼馴染の姿は影も形も見えなくなっている。すっかりしてやられてしまった。スザクは少し肩をすくめると、また明日どうにかすればいいと楽天的に考えて帰路を辿った。


(11.19.08)


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